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プロフィール

ジ ン ガ

Author:ジ ン ガ
1966年12月3日 土曜日生まれ
射手座、B型、動物占いではコアラ

好奇心旺盛、外出好き
涙もろい、おっちょこちょい
ロマンチスト、熱血漢
女性に対しては不器用

生まれも育ちも「大分県」
県南の、フグで有名な城下町に住む

★好きなもの色々
日の出、日の入り、富士山、雷、稲妻、入道雲、台風、荒波、夜明け前の時間(ミッドナイトブルーの時間)、一人旅、夏、海、海水浴、月夜の海、山のてっぺん、激流、静かな湖、滝、虎、馬、ワシ、ウルトラセブン、ゴジラ、かき氷、チョコレートパフェ、きなこ餅、トコロテン、アジのみりん干し、梅酒、天空の城ラピュタ、坂本竜馬、織田信長、勝海舟、スサノオノミコト、占い色々、人混みの中、コーヒー、キャンプ、群青色、焚き火の炎、水の中から見た空、虹、長い一本道、喫茶店、一人で過ごす時間、神社参詣

★プチ自慢
いつでもどこでもすぐ寝られる
食べ物に好き嫌いがない(味覚が鈍い?)
両耳と眉毛と鼻の穴を同時に動かせる
ロイヤルホストで13時間ねぱった事がある
立ち読み連続10時間(座らずに)

★その他いろいろ
カバラ数秘術では誕生数1、姓名数3(または4)

九星は「七赤金星」
宿曜星は「翼宿」
Kin39:青い宇宙の嵐
昭和41年、丙午(ひのえうま)
(人口ピラミッドの“くびれ”の部分)


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小さな冒険者

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少年時代、毎日が冒険だった

何にでもワクワクしていた

知らないことが多すぎて

いつも何かを知りたくて

抑えきれない好奇心で一杯だった

そんな僕らは「小さな冒険者」だった

時は流れ、僕らは大人になった

そして、いつの間にか僕らの中の

「小さな冒険者」はいなくなってしまった

でも、心配はいらない

僕らの中の「小さな冒険者」は

いなくなった訳じゃない

隠れてしまっただけなんだ

僕らが心を閉じたから

今、再び冒険者の魂を呼び起こそう

心の中の「小さな冒険者」よ

長い間、閉じ込めていてゴメンね

さあ出ておいで、君の出番だ!


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以前、少年マンガに載っていた言葉が、妙に引っかかった。

俺達がいなけりゃ日本が困る

・・・その通りである。

それどころか、

「俺達がいなけりゃ日本が困るし、世界はもっと困る」のである。

今の日本人は、これぐらいの自覚が必要だ。

決して大げさではない。

それだけの身魂が今、日本に生れ落ちている。

自覚している者は、まだまだ少ない。

昂ぶるでなく、荒ぶるでなく、偉ぶるでなく

ただただ、真コトを貫く。

それだけであるが、それで十分である。

誇りを胸に持つと、肩に力が入りすぎてしまう。

そうではなく、誇りをハラに納める。

そうすると、肩の力が抜ける。

身体はグニャグニャでいい。

ハラがドッカリ座っていればいい。

それが真コトの日本男児。

勝っても負けても

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他人に勝ったからといってあなたの価値は少しも変わらないし、

あなたに負けた他人の価値も変わる事はない。


逆の立場でも同じ事が言える。


勝ち負けにとらわれていると自分を見失ってしまうというのは、

本来、勝ち負けにかかわらずあなたも他人も等価であるのに、

勝たなければ価値がないような幻想にとらわれてしまって、

あなたの本来の価値が勝敗によって上下するかのような錯覚を起こすという事である。

勝とうが負けようが、あなたの価値は何も変わらないのに。




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「人に気に入られる自分」であるより
「自分が気に入る自分」であること

「人に好かれる自分」より
「自分に好かれる自分」であること

「人に誉められる自分」であるより
「自分に誉められる自分」であること

「人の好みに合わせる自分」であるより
「自分の好みに合わせる自分」であること

「人に愛される自分」であるより
「人を愛する自分」であること

「人の評価を気にする自分」であるより
「自分で自分を評価できる自分」であること

「人に価値を決められる自分」であるより
「自分の価値を自分で決める自分」であること

「自分のことを人に決めてもらう自分」であるより
「自分のことは自分で決める自分」であること

「人に導かれる自分」であるより
「自分に導かれる自分」であること

「人のことを笑う自分」であるより
「自分のことを笑う自分」であること

「人の基準で生きる自分」であるより
「自分の基準で生きる自分」であること

それが一番、自然な生き方
それが一番、自然な在り方




『すべては我が内にあり』



この言葉が本当に理解できたら・・・




すべての宗教が消える

すべての書物が消える

すべての争いも消える





すべての原因が自分にあることを知り

すべての責任も自分にあることを知る




そして自分が自分の現実を創り出す神であることを知る




孤高のトンビ

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単独行動が好きだった。

群れるのが苦手だった。

少し変わり者だった。

人とは違う価値観を持っていた。

小学生の頃、職員室やトイレに友達と連れ立って行く神経が、どうしても理解できなかった。

みんなが動かなくても、必要とあらば自分一人でも動く。

みんなが動いても、必要とあらば自分だけは動かない。

一番大事にしたいのは自分の気持ち。

そういう私は、良寛さんの歌に、なぜか共感する。



 世の中に 交わらぬとには あらねども

            一人遊びぞ 我は勝れる
  


仮に独房に入れられても、無人島に流されても、

割と平気なタイプではなかろうか、と自分では思う。


飄々と風に乗って空を舞う、一羽のトンビ。


それでもあなたの道を行け―インディアンが語るナチュラル・ウィズダムそれでもあなたの道を行け―インディアンが語るナチュラル・ウィズダム
(1998/07)
ジョセフ ブルチャック、 他

商品詳細を見る



すべてのものが、あなたのために用意されている。

あなたの道は、前方にまっすぐ伸びている。

ときどき見えないこともあるが、それでも道はそこにある。

道がどこへ続いているのか、あなたは知らないかも知れないが、

どうしてもその道をたどっていかなければならない。

それは創造神への道であり、

あなたの前に伸びているのは、一本のその道だけなのだ。




「それでもあなたの道を行け」P109

~インディアンが語るナチュラル・ウィズダム(自然の智慧)~ジョセフ・ブルチャック編
((株)めるくまーる)




実を言うと、この本の表紙を飾る青年の「面構え」に、一目惚れをした。
(言っておくが私は同性愛者ではない)

その精悍で、凛々しい面構えに「男惚れ」したのである。

見た瞬間、衝撃が走った。




ひたすら純粋で澄み切った瞳

固く結ばれて意志の強さを示す口元

余計なものを削ぎ落とした顔立ち


いや、参った。


これほどの顔には、なかなかお目にかかれるものではない。


昔、鹿児島は知覧の特攻隊記念館に立ち寄った時、こういう面構えをした男子の写真が、いくつも展示してあった。

日本人が失いつつある(もう失ってしまったかも知れないが)、魂の純粋さ、凛々しさ、雄々しさを、この本の青年は備えているように見受けられる。


当然の如く衝動買いをして、この本は今、手元にある。


是非、一読をお薦めする。



「いつかどこかで誰かが」何かをしてくれるのを待っていても、何も変わらないし、何も起こらない。



何もしなければ何も起こらない。



何もしなければ何も変わらない。



あなたの人生を動かすのはあなた自身なのだ。



いつかを今に、どこかをここに、誰かを自分に置き換えて行動しよう。



「いつかどこかで誰かが」ではなく「今ここで自分が」何かを始めることが重要なのだ。






時は今、場所はここ、人は自分






月に聞け

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答えは心の中にあるという。本当にそうなんだろうか・・・。

自分の心に聞けともいう。でもどうやって・・・。



ある夜、皓々と輝く月を眺めながら、自分の心に聞いてみた。






「俺はこれでいいんだろうか」






「お前がそう思うのなら、そうすればいい。
 お前が思う通りにやればいい。
 お前がこうだと思うのなら、それがお前の答えだ」


「でも、間違ってるかも知れない」


「何一つ間違うことなく道を歩くつもりか。
 何一つ過ちを犯すことなく全てを完璧にするつもりか。
 お前は安全な道だけを歩こうとしていないか。
 その底には苦を避ける心がないか」


「・・・あるかも知れない」


「苦を避ける心がなければ、右か左か迷うことはない。
 お前の選択が、たとえ苦をもたらすものであったとしても、それで身魂の掃除が進むのだ。 
 それで何の不都合があるか」



自分の選択に全責任を持つと覚悟すれば、もはや迷うことはない。

心の中で余計な心配もする必要はない。












「俺の答えが、俺にとっての答え」






・・・冷えた体を月が照らしていた。





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お前の正体はオオカミぞ


犬ではない


いつからペットになり下がったのだ


お前の正体を思い出せ


お前にはオオカミの血が流れておるのぞ


オオカミの誇りを取り戻せ





※ オオカミ≠狼

  オオカミ=大神


褒められても 木に登らず

けなされても 落ち込まず

うまくいっても 奢らず

うまくいかなくても 腐らず

先が見えても 安心せず

先が見えずとも 不安にならず

外の何事にも振り回されず

誰の評価にも動じない

どんなエサにも つられず

外部からは コントロール不可能

何があっても 平然として

デンと構えてビクともしない

そういう者に ワタシはなりたい



「これって、もしかして、○○なんじゃなかろうか」とか、

「○○なのかな?」と思う時がある。


自分の心の中で、あるいは、誰かとの会話でも出てくることがある。




そんな時は・・・




「~なのかな?」を、「~なんだ!」に変えてみる。


そうすると、それが自分にとっての真実になる。



それが実際には「間違った認識」であったとしても、


「~なんだ!」と自己決定して動く。



そうすると、その時に必要な言葉や人や出来事に出会う。


後で「間違った認識」だったと気づく時が来れば、それはそれでよし。




「~なのかな?」を、「~なんだ!」に変えるということ。


これが大事。



実はこの、「~なのかな?」という言葉は、誰かに確認したい時や、自分の答えに自信が無い時に出てくる。


自分が進む道を、一体誰に確認するというのか。


自分の進む道は、自分しか分からない。



群れたければ群れる。

群れたくなければ群れない。



誰かの言うことに心底納得すれば、それは自分の意思となる。

誰かの言うことに心底納得しなければ、それは自分の意思ではない。



最後に決めるのは自分。

「天の神様」とやらに聞いてもダメなのだ。



壊れるべきものは、やがて壊れる


離れるべきものは、やがて離れる


結ばれるべきものは、やがて結ばれる


形になるべきものは、やがて形になる


成るべきものは、成る。


すべて、そうなるべきものは、そうなるべくして、そうなる。


あらゆるものの行く先については、人がアレコレ考えることではない。






ものごとは・・・すべて・・・



なるように、なる


なるようにしか、ならない


そして


なるべくして、なる





昔から、わかっていたことだ。

改めて確認するまでもない、か。

巷には色んな情報があふれている。


膨大な情報の洪水だ。


すべてに目を通すことはできない。


おのずから取捨選択をすることになる。


そんな時、重要になるのが、自分のカン。



え?



カン?



そう。カンなのだ。



背筋がゾクゾクする・・・とか


妖怪アンテナがピンと立つ・・・とか(鬼太郎か?)


ただ、なんとなく・・・とか。


そうやって、目と耳に入る情報をスキャンする。


そうして、自分が何を選ぶかを選択する。



他人がどうとか

世間一般ではとか

常識とか

事例とか

経験とか

そんなの関係ない







一番大事なことは・・・



「自分は、どう思うのか?」


「自分は、どう感じるのか?」


「自分は、どうするのか?」


「自分は、どうしたいのか?」






常に、自分の「心の真ん中」に問いかけてみよう。



「お前は、どうする?」



寄り道して回り道して、道草くって、油売って・・・


俺、今まで何やってたんだろ。


ずいぶん遠回りしたなぁ・・・・・・はぁ~


















な~んて思ってるアナタ!


それは違います。


あなたのすべての歩みには意味があり、必要な体験と学びがあったはず。


たとえそれが、どんなにバカげたものであろうとも。


実は最初から、あなたは、あなただけの最短距離を歩いて来たということを、お忘れなく。



今までも。

そして、これからも。




だから、何も心配しないで、自分の心のままに歩いていくだけ。


それでOK



地球が誕生して以来、一日たりとも同じ夕焼けは無かった。

宇宙が誕生して以来、一瞬たりとも同じ瞬間は無かった。

一日たりとも同じ空は無く、一日たりと同じ山も海も無かった。
一人として同じ人間もなく、一瞬たりとも同じ瞬間は無かった。

砂の一粒一粒でさえ同じものは無いのだ。


広大な宇宙のどこを探してもあなたと同じ人間はいないのだ。


同じように見えるものでも、○年○月○時○分○秒の「それ」は、その時にしか存在しないのだ。

厳密には、一秒後のそれは、一秒前とは違うのだ。
一秒を一億年に置き換えれば分かるだろうか。
一億年前に存在したものが、一億年経過した瞬間にガラリと姿を変えた訳ではない。
一秒ごとの積み重ねが一億年になれば、目に見える違いとなって認識できるだけなのだ。


あなたも同じである。

昨日のあなたと今日のあなたは違うのだ。
肉体でさえ新陳代謝を繰り返している。
同じように見えるのは、あなたの錯覚なのだ。
あなたが経験する事は全て初体験であり、全く同じ事を経験することはできないのだ。


覚えておいて欲しい。

似たような状況はいくらでもあるが、全く同じ状況はないのだという事を。
あなたが意識しようとしまいと、雲は動き、時は流れていくのだ。
あなたは常に新鮮な今という瞬間を経験している。
あなたは常にワクワクするような未体験ゾーンに足を踏み入れているのだ。


宇宙を貫く法則は「常に変化し続けること」なのだ。

変化しないものは何もない。
神でさえ変化しているのだ。
変わらないのは「変化し続けること」だけなのだ。

あなたは過去や未来に生きることはできない。
あなたは常に「今」しか生きられない。

あなたの目と意識を、常に「今この瞬間」に向けなければ、大事な何かを見過ごしてしまうだろう。
全ては未体験なのであり、過去のデータは参考にしかならないのだ。
過去のデータに基づいて全く同じやり方をしても、うまくいかない場合もある。

その時その時の直感があなたのナビゲーターなのだ。
過去のデータを信じるか、あなたの内なる神を信じるか、それはあなた自身の選択である。


覚えておいて欲しい。

すべての瞬間が、一度きりの新鮮な瞬間なのだ。


あなたがあなたでいてくれるから、私が私でいられる

木が木でいてくれるから、家はその形を保つことができる

鉄が鉄でいてくれるから、高層ビルはその高さを保つことができる

木が木でなくなれば、鉄が鉄でなくなれば、私達の社会は混乱してしまう

すべて存在するものが、そのあるがままでいてくれるから、全体の調和が取れている

木は木のまま、鉄は鉄のまま、最後までその性質を変えることなく、木や鉄であることを貫き
通すことで、全体の調和が取れる

木は鉄になろうとせず、鉄は木をうらやむことなく、それぞれがその個性を貫いている

木よ、あなたが木でいてくれるから、木陰があり、鳥たちは巣を作り、秋には紅葉を楽しむことができるのだ

鉄よ、あなたが鉄でいてくれるから、鎖は切れることなく、刃物はその役割を果たし、機械は正常に動くのだ

怪獣が乱暴で凶悪であればこそ、ウルトラマンの存在意義がある

怪獣がいなければウルトラマンも必要ない

悪者が悪者であればこそ、正義の味方が正義の味方でいられる

醜が醜のままであればこそ、美に感動することができる

雑草があればこそ、花の存在意義もある

悪が悪のままでいてくれるからこそ、善というものが存在する

寒さがあればこそ、暖かさを感じることができ

苦があればこそ楽がわかり

不安があればこそ、愛を理解でき

不幸があればこそ、幸福が身にしみる

騒がしさがあればこそ、静けさが際だつ

夜があるからこそ、昼があり

闇があるからこそ、光がある

地球にとどまらず、宇宙すべてがそのようにできている

あなたがあなたでいてくれるから、私はあなたになる必要はなく、私のままでいられる

すべてが、無限の多様性の一つの現れとして存在している

すべて両極が存在すればこそ、それぞれの極の性質が、より一層価値をもつ

存在するもの、それ自体の価値はすべて等しく価値の上下などない

すべての存在は、それぞれの存在理由によって存在しているだけである

裁かれるべきものは何もなく、排除されるべきものもない

すべてがあるから、全体の調和がある

あなたはあなた以外になることはできないし、その必要も義務もない

私は私以外になることはできないし、その必要も義務もない

あなたがあなたでいてくれるから、私が私でいられるのだ

あなたはあなたのままでいい

私は私のままでいる



宇宙広しといえども

あなたの代わりになる者は誰もいない

みんなと同じでなくてもいい

いい子でなくてもいい

一番にならなくてもいい

何もできなくてもいい

完全でなくてもいい

不器用なままでもいい

あなたはあなた自身であればいい

あなたがあなた自身になる時

宇宙の輝きが増すのだ


あなたが気付かなくても 

私はずっとあなたを見守ってきた

あなたが悲しい時、寂しい時、つらい時、一人ぼっちでいる時

私はいつもあなたのそばにいた

あなたが何処にいようと

あなたが何をしていようと

あなたがどんなになろうと

私はいつもあなたのそばにいる

今までも・・・そしてこれからもずっと


立ち止まるな

何人たりとも   お前の行く手を阻む権利はない

お前の道を遮る者は   すべて無視せよ

それらの者共と戦っている暇などないのだ

お前の信念をねじ曲げようとする者に  力を与えてはならない

お前の腕を掴む者を振り払うほどの  強い力で前進せよ

お前自身をおいては  誰もお前の人生に責任は持てない

お前の人生に責任を持てない者の言うことを  聞く必要はない

他人の言うことを聞いている暇などないのだ

お前の心に正直に素直にまっすぐに歩け

お前を止められる者はお前だけだ

先が見えずとも   何もわからなくとも

お前の内なる声を信じよ

お前の内に神が在るのだ

お前が動く時は  神が動いているのだ

お前が為す時は  神が為しているのだ

お前と神とは一体なのだ

お前が心の命ずるままに歩く道は  神の道なのだ

他人の命ずるままに歩いてはならない

お前が心の命ずるままに歩けば

それが神の道だ

内なる声をひたすら信じて

お前の道を

お前だけの道を歩け

渾身の力をふり絞り

お前の道をまっすぐ歩け

やがてすべての障害は  消えてなくなる

立ち止まることなく お前の道を歩め



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自分の道を歩け

十人が横一列に並び、同じ道を歩いている。

左端の者は、この道でいいかどうか迷っていたが、

右隣の者の自信ありげな顔を見て、安心して歩き続けている。

ところが右隣の者は、そのまた右隣の者を見て確認しながら歩いている。

さて、それでは右端の者はどうか。

彼は自分の進む道に確信を持っていた。

何故ならば、彼の左隣の者が絶対の自信を持って歩いているからである。

みんなが同じ方を向いているからといって、それが絶対に正しい訳ではない。

数の多い少ないでは、本当の正しさは証明できない。

つい最近まで、ほとんど全員、地球が丸いとは思っていなかった。

外に頼らず、自分の内の声を聞きつつ、自分の道を歩けば、例えそれがどんな結果になろうと、後悔はしないはずだ。他の責任にはしないはずだ。

この世に本当の意味で失敗はない。成功もない。ただ経験があるのみ。

人はみな、生まれてから死ぬまで、それぞれの道を、ただ独りで歩いている。

例外はない。

だから、自分の道は自分で選び、自分で決め、自分の足で、自分一人で歩け。

この世で最も確かなもの、それは自分自身の心の声だけである。

自分の道は自分しか歩けない。

他人の道を歩くことも、他人に自分の道を歩いてもらうこともできない。

最初から最後まで、自分にとことん付き合うのは、自分しかない。

周りがどうであろうと左右されずに、自分の道をしっかりと歩け。

人間のすることに間違った選択はない。

人間が行動できるものは全て正しい選択である。

絶対にしてはならないことは、思うことすらできない。

他人に合わせて、他人に確認しながら歩く者は、自分の人生に責任を持てない者だ。

自分の人生に責任を持つということは、すべてを自分で決めることだ。

外に頼らないことだ。

人や本や宗教に頼らず、ただ自分の心に従って歩きはじめる時、本当の 意味での自分の人生がはじまる。

自分の人生を他人の手に委ねてはならない。

一切の干渉を受け付けず、一切の助言を聞かず、この地上に人間はただ独りであるかのごとく生きれば、真実が見えてくる。

自分の道を歩きながら経験することは、どんなことでも、すべてが永遠の宝となる。

他人の言う事を聞いて、他人の言うままに、他人の望む道を歩いている者よ。

おまえの道はどこにあるのだ。おまえの人生はどこにあるのだ。

他人の言う事を聞いている暇はない。おまえの人生は短いのだ。

サイの角のように、ただ独り歩け。

野中の一本杉のように、ただ独り立て。

空高く舞う鳶のように、ただ独りあれ。

ただ独り、自分の道を歩け。


黄金魂

ラジオで聞いて電気が走った。

歌詞の内容にシビれた。

魂が奮い立つ歌である。







「黄金魂(おうごんソウル)」 歌:湘南乃風
黄金魂

ポジティブシンキングが流行っています。

でも実は、ポジティブ(積極的・肯定的)もネガティブ(消極的・否定的)も、どちらか一方への偏りです。

ポジティブにもネガティブにも偏らないニュートラルシンキング(中立的なものの見方・考え方)が大事です。

すべての出来事をありのままに見ることです。

そのもの自体に善悪はありません。善悪を決めつけるのは人間の心です。

その心の元は、一つのものを二つに分ける心です。

今、すべてが「統合」されようとしています。善も悪も統合です。

二つに分けて物事を認識する時代は終わりつつあります。

太古の昔、人々は「すべては一つ」の認識のもとで暮らしていました。
その時代が終わりを告げ、今「二つに分けて見る」時代を我々は生きています。

それももうすぐ終わります。新世紀は統合の時代です。

「すべては一つ」という認識が当たり前の常識になります。

元は一つのものを二つに分けて見ていたのが今までの時代でした。

元は一つの心なのに、善だ悪だと騒いでいたのです。

元をたどれば「すべては一つ」なのです。

今の人々は善のみを求め、究極的には善のみの社会を理想にしていますが、それは不可能です。

善を求める心の底には悪があります。

何かを悪だと見る心がなければ、悪というのは、(その人にとっては)存在しません。

善でも悪でもなく「全」なのです。

最高と最低があって全であり、善も悪もあって全であり、美も醜もあって全なのです。

物事を見たり考えたりする時に、価値観や先入観でしかものを見られない人が大勢います。

ちっぽけな価値観を捨てて、すべてを中立的に見ることが大事です。




・・・と、まぁ、ワシャ、こう思うんだけど、どないだ?

男に二言は無い

「武士に二言は無い」という言葉がある。

武士たるもの、一度口にしたからには、何が何でもやり遂げるということだ。

しかし、これは武士に限ったことではない。

男も女も、人間である以上、実は「ごく当り前」のことなのだ。


かつて、吉田松陰が友人と旅行に行くと約束した事がある。
しかし、藩では外遊を認めてくれなかった。
そこで松陰は友人との約束を果たす為「脱藩」した。


「そこまでやるのか?」という御仁もあるだろう。


しかし、「そこまでやるから男なのだ!」




「馬鹿、キチガイ、無鉄砲、誇大妄想、不可能だ、そんな事無理だ、やめとけよ、できる訳ない、お前にゃ無理だ・・・etc」

いわゆる「常識人」は、とかくブレーキをかけたがる。

しかし、男が一度決意して公言したからには、ブレーキは無視して突っ走るしかない。

男の意地をかけてやりぬくだけだ。



できない約束はしない。約束したからには絶対に守る。
できないことは口にしない。口にしたからには必ずやる。

そういう男が、まだ日本のどこかにいることは確かだ。

作用反作用の法則

作用反作用の法則は人生にも当てはまる。

今の世の、あらゆる出来事は、一見理不尽に思えるようなものもあるが、過去世も含めて見ないと説明がつかない。

原因があるから結果がある。

現世または過去世のいつかどこかで蒔いた種を、今、刈り取っている。

それが何であろうと、身に覚えがなくとも、

「自分に渡ってきたもの」「自分が体験すること」は、全て自分が蒔いた種。


宇宙に偶然は無い。

喜びの種を蒔いて、たまたま苦を受け取ることはない。
苦の種を蒔いて、たまたま喜びを受け取ることはない。

作用反作用の法則に一切の例外は無い。
良きにつけ悪きにつけ、「しただけのことが返る」仕組み。

現世では時空があるから「これは何が原因なのか、なぜ自分にこんな出来事が起こるのか、なぜ自分がこんな体験をするのか」が、すぐには理解できないこともある。

しかし、突き詰めて考えれば、それらは全て自分に原因がある。

だから、本当の意味での被害者は、どこにも存在しない。


「自分が自分の加害者」というのが真実。 (いつかどこかで、その種を蒔いたという意味で)

何らかの苦が自分の前に現れた時、それから逃げるのではなく、「ああ、これは自分が、いつかどこかで蒔いた種だな」と理解し、甘んじて苦を受け取ることだ。

それで清算が完了する。

苦から逃げてばかりでは、いつまで経っても清算は済まない。


欲望のままに動いた結果、現れてくる苦もある。

その場合は、「欲望のままに動く」ことをやめない限り、延々と苦が渡ってくる。
欲望が苦を呼び、それから逃げれば、さらなる苦が現れてくる悪循環に陥る。



欲望(欲心)ではなく、「本心ではどうなのか」を、常に自問自答しなければならない。

「欲心ではなく、本心に100%正直に生きる」のが、真コトの生き方であり、真のヒトとなる生き方。

黒くんと白くんがいました。二人は兄弟です。

二人は一日だけ、幼稚園に体験入園しました。

お父さんは「夕方になったら迎えに来るから、それまでは何をして遊んでいてもいいよ」と言いました。

黒くんは元気いっぱいに遊び回るワンパク坊やです。
水溜りにもジャブジャブ入るから泥んこになりました。
遊び場の隅から住みまで駆け回って遊びました。
時々、友達に意地悪したり、イタズラをして先生に叱られたりしました。
そして、あまりお行儀がよくありません。
先生の言うことも、素直に聞きません。
黒くんの顔や手や足は、真っ黒になってしまいました。
何度も転んだので、ところどころ、すり傷もあります。
服も汚れています。


白くんは、大人しく、お行儀の良い優等生です。
先生の言うことも、素直に聞きます。
白くんは、顔や手や、服が汚れないように気を付けて遊びました。
水溜りも避けて通りました。
だから白くんの顔や手や足は、黒くんほど汚れていません。


白くんは、元気な黒くんに服を汚されないよう、距離を置いて、壁に背中をつけて、黒くんが遊ぶのを見ていました。
そして「あ~あ、黒くんは、あんなに汚しちゃっていいのかな?きっとお父さんに叱られるぞ。でもボクは黒くんみたいに汚れてないもんね。早くお父さんが迎えに来ないかな。そしたらボクは真っ先にお家に帰れるのに。でも黒くんは、そのままじゃお家に帰れないだろうなあ」と思っていました。



夕方になって、二人のお父さんが迎えに来ました。

お父さんは「二人とも、顔や手を洗って、服を着替えなさい。そのままでは家に帰れないぞ。あと30分で出発するぞ」と言いました。

黒くんは、顔や手を洗うのが面倒臭かったのですが、自分が汚れているのを分かっていたので、仕方なくお父さんの言うことを聞いて、顔や手を洗い、服を着替えました。

あんまり汚れがひどいのでシャワーも浴びたところ、元のピカピカなキレイな体になり、新しい服を着ました。

ところが白くんは、「ボクは汚れてないから、どこも洗わなくていいもん」と言いました。

お父さんは、何度も「お前も汚れているから、早く洗いなさい」と言うのですが、白くんは自分が汚れているなんて思っていないので、お父さんの言うことを聞きません。



お父さんは、白くんを「合わせ鏡」の前に立たせました。

「お前は、前から見える所は汚れていないかもしれんが、背中を見てみろ、真っ黒だぞ」と言いました。


鏡を見てみると、確かに、白くんは汚れていました。


壁に背中をつけていたので、知らず知らず、背中が汚れていたのです。そして、足を上げると、足の裏も真っ黒でした。

白くんは、目に見えない所が汚れていたのです。

それでも白くんは「これはボクじゃない。ボクはこんなに汚くないもん」と言い張りました。





お父さんは仕方なく、白くんを水溜りの所に連れて行き、白くんの背中を押しました。

白くんは突然背中を押されて、水溜りに顔から突っ込んでしまいました。

体じゅう泥だらけになった白くんは、お父さんに「お父さん、ひどいじゃないか。せっかくキレイにしてたのに」と言いました。

お父さんは「鏡を見せて気付かせているのに、お前がいつまで経っても自分の汚れを認めないから、敢えて泥だらけにしたのだ。さあ、もう時間がない。早く洗って来なさい」と言いました。


お家に帰る時間が迫っていたのです。

お父さんは、白くんや黒くんの性格を分かっていたので、帰りの最終便に乗り遅れないよう、あらかじめ二人が体を洗う時間も計算して、予定の時間よりも少し早く迎えに来たのでした。

白くんは、もともと真面目でキレイ好きなので、一所懸命に洗いました。シャワーも浴びました。

すると、白くんは元のピカピカなキレイな体になり、新しい服に着替えました。

そして二人とも、無事に帰りの最終便に乗ってお家に帰りました。


君のゆく道は

♪「君のゆく道は」
君のゆく道は果てしなく遠い
だのになぜ 歯をくいしばり
君はゆくのか そんなにしてまで♪

・・・余計なお世話である。

「ミロクに行くんだよ、ミロクに。角のタバコ屋まで行くのとは訳が違うんでぃ」

作詞者に文句はない。ただの冗談である。



私達日本人の歩むべき道は、決して平坦ではない。

どんな困難が待っているか、想像すらできない。

だから、「楽しくみんなでワイワイ♪」という路線とは、一線を画する。

いわゆる「ニューエイジ系」とは違う。当り前だ。

楽にアセンションができるなんて思ったら大間違いである。




(おい、ちょっと待て!この日記は「おやじギャグ」とかのバカ話だけじゃないのか?)

(ふふふ・・・実は、ナニを隠そう・・・)

(ナニを隠すのか?普通は隠すだろ)

(最後まで聞け!バカ話にまじえて、時にはこーゆー話もするんだな、コレがっ!)

(ほほ~、そうだったのか・・・)

(これが噂の・・・知る人ぞ知る、人呼んで・・・ジンガ節

(おおっ、コレが噂のジンガ節かぁ~。カツオ節より美味いのか?)

(わからない奴は「放置プレイ」にして、話の続きを進めるとしよう)




外国人ならまだしも、日本人として生まれて来た身魂は、外国の身魂とは一段も二段も上の身魂を授かっているのだ。

魂が「親と子」ほども違うのである。

子供が水をかぶるなら、親は冷水をかぶるぐらいの覚悟が必要だ。



とは言いながら、しかめっ面で厳しいばかりという訳ではない。

時にはユーモアも必要だ。

ハラでグッと覚悟を決めたら、全身はフニャフニャでも構わない。
外見はどうでもいい。芯があるかないかが問題だ。


私の場合、まだまだ「楽」に流れるようなところがある。

時折思い出しては、心を引き締める。その繰り返しである。

「おやじギャグ」を言わせたら、誰にも負けない自信がある。

しかし、「おやじギャグ」を連発すると、誰からも相手にされなくなる自信もある。


さて、どうしたものか・・・


日本語は、同音異義語の宝庫でもある。

「おやじギャグ」は、多くの場合「駄洒落」が多い。

しかし、だ。

よく考えてみて欲しい。

「駄洒落」を生み出すには、実は「豊富な語彙力」と、それらを一瞬にして結びつける「ヒラメキ」が必要なのだ。

いわば、高度な作業を脳の中で行った結果、生み出されるのが「おやじギャグ」なのである。



「おやじギャグ」を馬鹿にする者に言いたい。




「じゃあお前は、何か一つでも『駄洒落』を考えられるか?」




「おやじギャグ」・・・あなどるなかれ。


たかが「おやじギャグ」、されど「おやじギャグ」



・・・という訳で、この日記を読んでしまった、あーた!

そこの あーた!

何か一つ、足跡がわりに「おやじギャグ」を残していきなさい。

「剣道やろーよ」
「メンドウ(面・銅)だなあ」
「俺、でケンドー(出来ないぞ)」

最近のこと。


妻が息子に



「晩御飯、何食べたい?」



と聞いた。





すると、息子はサラリと















「中国製ギョーザ」





と言った。













・・・・・・むむ、こやつ、デキル!



そーゆーギャグを、いとも簡単に言ってのけるとは。





やはり只者ではない。



しかも、タイムリーな時事ネタを、見事なまでに日常会話に盛り込む高度なテクニック。




ワザとらしくなく、さも当然のように切り返す語り口。





・・・って、俺の息子か。





しかし





小学校3年生の息子のギャグセンスに、複雑な嫉妬とライバル心をごちゃまぜにしながら平静を装って新聞を読むフリをしていた父の心の内を、息子は知る由も無い。






一人でも動く

自分がコレと思ったら、一人でも動き始める

誰かの指示や命令や助言を待ってなんかいられない


「こうしようと思うんですが、どう思います?」
「どうしたらいと思いますか?」
「やってもいいですか?」


・・・いったい、誰に確認してるんだ?

誰に確認する必要があるんだ?

誰かの承認がないと動けないのか?




誰かが「止めろ」と言ったら、止める

誰かが「やれ」と言ったら、やる


・・・そんなのは奴隷と同じだ


思いついたことを、何でもやってみる

そうしてやってみて

本当にダメなら、そこで気づくことになる




それは、違うやり方かも知れない

全然違う方向性かも知れない



何もしなければ、何も動かないのだ



やってみないと分からない

やり始めてみないと見えてこない


やってみれば分かるやろ



という訳で・・・



それ行け~ 


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