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プロフィール

ジ ン ガ

Author:ジ ン ガ
1966年12月3日 土曜日生まれ
射手座、B型、動物占いではコアラ

好奇心旺盛、外出好き
涙もろい、おっちょこちょい
ロマンチスト、熱血漢
女性に対しては不器用

生まれも育ちも「大分県」
県南の、フグで有名な城下町に住む

★好きなもの色々
日の出、日の入り、富士山、雷、稲妻、入道雲、台風、荒波、夜明け前の時間(ミッドナイトブルーの時間)、一人旅、夏、海、海水浴、月夜の海、山のてっぺん、激流、静かな湖、滝、虎、馬、ワシ、ウルトラセブン、ゴジラ、かき氷、チョコレートパフェ、きなこ餅、トコロテン、アジのみりん干し、梅酒、天空の城ラピュタ、坂本竜馬、織田信長、勝海舟、スサノオノミコト、占い色々、人混みの中、コーヒー、キャンプ、群青色、焚き火の炎、水の中から見た空、虹、長い一本道、喫茶店、一人で過ごす時間、神社参詣

★プチ自慢
いつでもどこでもすぐ寝られる
食べ物に好き嫌いがない(味覚が鈍い?)
両耳と眉毛と鼻の穴を同時に動かせる
ロイヤルホストで13時間ねぱった事がある
立ち読み連続10時間(座らずに)

★その他いろいろ
カバラ数秘術では誕生数1、姓名数3(または4)

九星は「七赤金星」
宿曜星は「翼宿」
Kin39:青い宇宙の嵐
昭和41年、丙午(ひのえうま)
(人口ピラミッドの“くびれ”の部分)


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中立的なものの見方とは・・・

例えば雨が降っているとしよう。それは現実である。

それに対して「ああ嫌だ」と反応するのはネガティブ。

「雨が降っているけど、これは恵の雨であって、必要だから降っているのだ。雨もいいじゃないか」と反応するのはポジティブ。

しかしちょっと無理があるような気がする。

「あ、雨だ」ただそれだけの反応がニュートラル。

雨自体には元々意味はないのだ。

もっと言えば雨の雫もあなたも、ともに等価なのだ。

価値の上下はない。

「すべてが神である」というのはこういう事である。

神に上下はない。

すべてが創造の一部なのだ。

ここに一冊の本がある。

その本のページには、まだ何も書かれていない真っ白な状態。

本を閉じたままだと、これは「全てが一つ」の一元的世界。

宇宙が創世される前の状態。

時間も空間も、全てが折りたたまれて存在しているとされる世界。


そして、ある時、本は開かれた・・・

そして壮大な宇宙の物語が始まった。

物質世界である宇宙は、本が開かれた状態。

「本が開かれる」というのは、左右にページが分かれることを意味する。

これはつまり、「二元的世界」。

相反するものが同時に存在する世界。

「相反するもの」の、どちらか片方だけでは成り立たないし、片方だけでは発展しない。

男だけでもダメ、女だけでもダメ。
善だけでもダメ、悪だけでもダメ。
右半身だけでもダメ、左半身だけでもダメ。

相反する陰陽が、二つ揃って初めて、新たなものが生まれてくる。

そうした「二元的世界」とは、いってみれば、「二つで一つ」。

では、開かれた本がを閉じられたら、どうなるか。

「また元に戻るだけだ」と思うだろうか。

いや、そうではない。

今度は、真っ白だったページに、ビッシリと物語が書き込まれている。

そこには数限りない登場人物達の物語が綴られている。



「物質宇宙」とタイトルに書かれた本は、まもなく「最終章」に突入しようとしている。

いや、既に突入しているというべきか。


プロローグは、ビッグバン。
それは、重たい表紙が開かれた時。


エピローグも、同じくビッグバン。
それは、重たい裏表紙が閉じられた時。



あなたは、この本の「最終章」において、どんな人物として登場し、どんな物語を綴るだろうか。


道標

人はそれぞれの道を一人で歩く

上り坂もあれば下り坂もあり、平坦な道もある
道の途中で多くの人に出会い、様々な体験をしつつ、何かを学んでいく

そして時にはつまずき、転び、道に迷うこともある
そんな時、行く道を指し示す『道標』に出会う
道標とは“道しるべ”だ
先人達が残してくれた道しるべだ
古いものもあり、新しいものもある
それらは先人達が我々に残してくれた愛の伝言板だ

道に迷い、道を求めて、人は道標の前に立つ
まるで導かれたように道標に出会う
道すがら、様々な道標に出会う
そして必要な時に、必要な道標に出会えるようになっている
そして行くべき道を知り、歩き方を学ぶ

道を知り、歩き方を学んだ後は
道標を残してくれた先人達に感謝して
道標を振り返らず
ただ己の信じる道を歩けばいい

道標に書いてある言葉の一つ一つを全て覚える必要はない
道標は道標でしかない
歩くのは、あくまでも自分なのだ

いつしか道標さえも忘れて
自分一人でも歩けるようになるだろう
その時、人は己の内に案内人を見いだす

案内人は一人一人の内にいる
それは、時には強く、時にはかすかに
「この道を行け」と囁く声でもある

道標や先人を崇める必要はない
心の底から感謝すれば、それでよい
道標を残してくれた先人達も
崇めることを求めたのではない
ただ、後に続く者達が道を誤まらぬよう
自らの命をかけて道標を残してくれたのだ

その大きな愛に報いたければ
崇めるのではなく
知識として記憶するのでもなく
杖とするのでもなく
自分の力で歩けるようになることだ
自立して一歩一歩自分の足で歩くことだ

己以外の何者にも頼らず
しっかりと自分の足で歩けるようになること
それが先人達の願いでもある



自分で自分を許して下さい
自分で自分を認めて下さい
自分で自分を受け入れて下さい
自分で自分を統合して下さい

嫌な自分、未熟な自分、傲慢な自分、謙虚な自分・・・
それがどんな自分であっても、すべてが自分です

私は、すべての人は両極端の性質をすべて持っていると考えています
自分の中に聖人もいれば悪人もいる・・・
それぞれの人によって、どの部分が最も多く出てくるかによって
個性が決まると思います

どうか、どんな自分であっても、
自分で自分を切り離したりしないで下さい
すべての人格は自分の中にあるのですから・・・

許す、認める、受け入れる・・・それが自己愛の始まりです

自己愛は悪ではありません

すべての元をたどれば、自己愛に行き着きます

他人は自分の鏡・・・

自分で自分を愛せないということは

自分の鏡である他人をも愛せないということ

自分の中に許せない部分や嫌な部分があると

それを投影したような他人に出会うと拒否反応をします

まず、自己愛

自分で自分をしっかりと愛して下さい

自己愛はやがて、自分以外への愛へとふくらんでいきます

そしてまた、自己愛に返ってきます

なぜなら、すべては神であり
すべては喜びであり
すべては自分であり
すべては自分の内にあるのだから

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