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プロフィール

ジ ン ガ

Author:ジ ン ガ
1966年12月3日 土曜日生まれ
射手座、B型、動物占いではコアラ

好奇心旺盛、外出好き
涙もろい、おっちょこちょい
ロマンチスト、熱血漢
女性に対しては不器用

生まれも育ちも「大分県」
県南の、フグで有名な城下町に住む

★好きなもの色々
日の出、日の入り、富士山、雷、稲妻、入道雲、台風、荒波、夜明け前の時間(ミッドナイトブルーの時間)、一人旅、夏、海、海水浴、月夜の海、山のてっぺん、激流、静かな湖、滝、虎、馬、ワシ、ウルトラセブン、ゴジラ、かき氷、チョコレートパフェ、きなこ餅、トコロテン、アジのみりん干し、梅酒、天空の城ラピュタ、坂本竜馬、織田信長、勝海舟、スサノオノミコト、占い色々、人混みの中、コーヒー、キャンプ、群青色、焚き火の炎、水の中から見た空、虹、長い一本道、喫茶店、一人で過ごす時間、神社参詣

★プチ自慢
いつでもどこでもすぐ寝られる
食べ物に好き嫌いがない(味覚が鈍い?)
両耳と眉毛と鼻の穴を同時に動かせる
ロイヤルホストで13時間ねぱった事がある
立ち読み連続10時間(座らずに)

★その他いろいろ
カバラ数秘術では誕生数1、姓名数3(または4)

九星は「七赤金星」
宿曜星は「翼宿」
Kin39:青い宇宙の嵐
昭和41年、丙午(ひのえうま)
(人口ピラミッドの“くびれ”の部分)


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人類のアンカー

遥か遠い祖先から私達まで、気が遠くなるほどの時間をかけて受け継がれてきた「命のたすき」

今、私達は人類の最終走者として「命のたすき」を預かっている

祖先達が命を賭けて守り抜いてきた「命のたすき」の重さを考えたことがあるだろうか

ある者はその為に自らの命を投げ出し
ある者はその為に耐えがたきを耐え抜いた

そうした、とてつもなく重い「命のたすき」をかけて、今、私達は生きている

今、地球上に生きている全ての人が、オリンピックの聖火ランナーと同じように「命の火」を灯している

嵐の時も雨の時も決して絶やすことなく守られてきた「命の火」

その火を遡れば、神に辿り付く

神から与えられた命の火を、こんにちまで守り続けてくれた人々がいたからこそ今の私達がいる

自然界の中にあっては、人間一人の「命の火」の、なんと小さいことか、なんと弱々しいことか

それでもなお、数え切れない苦心の末に
今、私達のところまで「命の火」は消えずに残っているのだ

自分の命を大事にするという事は、自分以外の命も大事にするという事であり、自分につながる全ての祖先の思いを大事にし、尊び、受け継ぐ事なのだ

それは即ち神の意志を我が意志とすることだ



私達一人一人は、人類のアンカーだ



つまづいても転んでも倒れてもなお、一歩一歩前に進むしかない
失敗しても傷ついても苦しくても、途中でリタイアする訳にはいかない

私達は一人であって一人ではない
私達の背後には、過去の全人類がいるのだ

すべては、今、この時の為に、周到に準備されてきたのだ

自分にはその任が重いと思うかも知れないが、自分にしかできない役割があるのだ

できないと思っても、無理だ不可能だと感じても、もはや後には引けない

逃げることはできない
他人に代わることはできない
あくまで自分自身がやり通すしかない

一人一人がかけがえのない大事な命なのだ

あなたでなければ「あなた」という穴は埋められないのだ
「あなた」という穴は、あなた以外の者では駄目なのだ

倒れたら起きればいい
間違えば一から出直せばいい

どんなことがあっても、進むことをやめなければ、必ずゴールはあるのだ
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ウサギとカメ

カメはぼつぼつと道を歩きはじめた。行き先は既に決めてある。
どのくらい遠いのか、どのくらい時間がかかるのかは分からない。
それでもカメはぼつぼつと歩いていた。
すると、後からウサギが同じ道を歩きはじめた。
ウサギは器用にスイスイと進み、ついにはカメを追い越してしまった。

カメは焦った。

ウサギと比較した途端、今までの自分の遅い歩みが気になりはじめた。
カメは懸命に足をバタつかせ、息を切らしながらウサギに追いつこうとした。
しかし、ウサギは尚も軽やかにぐんぐん先を進んでいく。
もはやカメは息も絶え絶えになっていた。

その時、神様が現れて言った。

「お前は何をしているのか。お前はカメであろう。
カメならばカメらしく歩めば良いのだ。
カメにはカメにしか見えないものがあり、カメにしか体験できないものがあるのだ。
自分がカメであることを恥じる必要はない。
ただ歩みの速さだけを比べて何になる。
お前は先のことを考えず、ただ一歩一歩、自分のペースで歩めばよいのだ。
足の速さだけを比べれば、お前より速い者はいくらでもいる。
いずれ私の所に辿り着くだろうが、その時には、土産話を沢山聞かせておくれ。
私はお前だけの土産話を楽しみにしているのだよ」

カメはハッとして我に帰った。

「そうだ。私は私のペースで歩けばいいのだ。
自分がカメであることを恥じる必要はないし、足の速さであろうと何であろうと、他と比べる必要はないのだ。
私は私だけの土産話を集めながら、神様の所に歩いていこう」

それからというもの、カメは誰に追い抜かれても、少しも気にならなくなった。
そしてカメは自分だけの土産話を神様に聞かせてあげた。神様はたいそう喜んだそうな。

昔も今も、世に競争原理などは無い。

他と比較して、少しでも上に行こう、先に行こうと競争したがる者達がいるだけだ。

カメのように遅くとも、気にせず「ゆるり」と歩むべし。



あなたの心は、いつも「答え」を持っています。

あなたの心の声に、もっと耳を傾けてみて下さい。

あなたの心から出てきた答えは、あなただけのものです。

そして、その答えに従って行動すればいいのです。

誰にも確認する必要はありません。
誰にも説明する必要はありません。
誰にも同意を得る必要はありません。
誰にも許可を得る必要はありません。

本当に自由に、こころのままに生きる権利を行使できるのは、あなただけです。

本当の意味で、あなたにブレーキをかけることができるのは、あなただけです。

「○○のせいで」「○○だから」「でも・・・」

いつまで自分で自分を縛っているのですか?
いつまで自分の本心を偽っているのですか?
いつまで仮面をかぶっているのですか?

あなたが本心に正直に生きる時、離れて行く人もあれば、付いて来てくれる人もいます。

そして新しく出会う人も・・・

あなたの肉体を制限することはできても、
あなたの心を制限することはできません。

あなたの肉体は時間と空間に制限されています。

でも、あなたの心には時間も空間もありません。

そんな制限は一つも無いのです。

そして、心の世界ではすべてが一つにつながっています。

「あなたの本心に正直に、こころのままに生きていいんだよ」

あなたの「内なる神」は、いつでも語りかけてくれています。

自分自身の対話

いわゆる自問自答

自分で自分に問い、自分が自分に答える

一切の誤魔化しはきかない

自分の心は自分が全て知っている

「お前、本当にそう思っているのか?実は違うんじゃないのか」

と、最も手厳しい質問が帰って来る

「本当のところはどうなんだ」

と、さらにたたみかけてくる

自分を一番よく知っているのは自分であるから

もう降参するしかない

「ああ、そうだよ。お前の言う通りだよ。確かにそうだよ」

と、観念する

すると、もう一歩突っ込んだ質問が来る

「で、お前は観念して、反省したフリをしてれば、それでいいと思っているのか?
それで世間は通るだろうが、俺は絶対に騙せないぞ」

恐ろしい質問である

「確かに、そういう気持もある。でも、全く反省してない訳じゃない」

正直な気持だ

こんなやりとりを、かれこれ5~6時間、真夜中にやった事がある

そして最後の最後・・・

「どうしようもねえ奴だけど、最後まで付き合うしかねえか」

やっとのことで質問攻め(最も手厳しい取り調べとも言える)が終わった

「僕」は「俺」と、ようやく折り合いをつけた

自分の甘さ、誤魔化し、いい加減さ、やっているフリ、ドロドロした部分は、自分が一番よく知っている

しかし、一点ではあるが真っ正直で清らかな部分もあること

これ以上はないというほどに突き詰めたあげく見えて来た

一点曇りもない「誠の心」「神を思う気持」「愛」

「自己愛」は、「自己に会う」ことで、より一層確かなものになる

それと同時に、徹底的に確認した「自己愛」こそが

「生きとし生ける全てのものへの愛」への出発点だと知る


みんなが王様

普段、何気なくしている会話の中で

相手が自分をコントロールしにかかっていることに気付いたりする。

そのやり方は、色々・・・

「世間一般ではこうだから」「普通は・・」などという

実は、ありもしない「世間一般論」で丸め込もうとするパターン。

「お前の為だ」は、実は「自分の為」の裏返しパターン。

罪悪感、脅迫、泣き落とし、交換条件、アメとムチ・・・

結局のところ、こちらが相手の思う通りに動かないと

相手にとって都合が悪いだけだったりする。

そういう場合、「こちらの都合」は無視。

「NOと言う自由」を封じ込める相手には、堂々と「NO」と言う。

それが深い意味では、お互いの為になる。

いつまでも「コントロールごっこ」に付き合う暇はない。

自分が歩きたい道を、歩きたいように歩く。

他人が歩きたい道は、他人が歩きたいように歩けばいい。

自分の自由を尊重するなら、相手の自由も尊重する。

それが自立したヒトとヒトの関わり方。

そこにはコントロールは存在しない。その必要もない。

どこにも奴隷は存在しない。

みんなが王様。


ゆずれない一線

どっちでもいいことは、どんどん譲る

ただし、どうしても「ここから先は一歩も譲れない」という一線がある

天地がひっくり返っても譲れない一線がある

そのボーダーラインを、どれだけ厳しく引くか

どれだけ厳しく一線を守るか


「まぁ今回だけは」「黙っていればバレないし」「そこを何とか」

あなたに“一線を越えてもらわないと困る”人達は

色々と理由をつけて絡んでくる・・・そして最後には脅してくる

そんな時は人間関係をスッパリと切り捨てる覚悟でNOと言う



神も、「これ以上は宇宙が消滅してもゆずれない」という一線を持っている

「それを外したら、天地自然の法則に反する」という一線だ

「それを外したら、もはや神ではなくなる」という一線だ

例外や妥協や誤魔化しやエコヒイキや、いい加減さは一切ない


神も人も同じ

自分で自分だけの「真コト」を貫く

誰もあなたの「真コト」を貫く手伝いは出来ない

どこまでも、何があっても、何と言われようと「真コト」を貫く



心の雲

魂は常に輝いています。曇ることはありません。

曇るのはココロ。

ココロが曇っていると、魂からの輝きが隠されてしまいます。

そしてココロの曇りを映すのは、自分の外。

つまり、ココロが曇っていると、その投影である「自分の外」は、曇って見えます。

外に雲があるのではなく、ココロに雲があるのです。

魂を太陽、ココロを空、目にうつる自分の外を大地を考えれば、わかりやすいでしょう。

魂の輝きは、常に同じ。

ココロに曇りがあると、大地に影が映ります。

影を生み出す元は、ココロの曇り。

雲一つないほどに晴れ晴れとしたココロ。

それが、本来のココロなのです。



【雑談】

「目は心の窓」、こころの曇りは目に表れ、顔の表情にも表れます。
心が晴れ晴れとしていれば、目はランと輝き、顔もスッキリしています。
で、鏡を見ると・・・曇ってるやん!(自爆)

堅苦しいばかりじゃ、行き詰まります。
「行き詰まり」は「息詰まり」。息が詰まります。
行き詰まって開く仕組み。行き詰まり結構ぞ、と。

時々、コピーが「紙詰まり」するのは「神づまり」ってこと?

ココロの曇り止めスプレーってないんかな?(あるかよ!)

どんなに厚い雲があろうと、その上は晴天です。
ほんの少しのキッカケや気付きから、光が差し込むことも。

どっちでもいい

どっちでもいい。

楽になろうが苦しくなろうが、どっちでもいい。

得しようが損しようが、どっちでもいい。

善だろうが悪だろうが、どっちでもいい。

○だろうが●だろうが、どっちでもいい。

成功しようが失敗しようが、どっちでもいい。

スイスイ進もうがジワジワ進もうが、どっちでもいい。

一番になろうが最後になろうが、どっちでもいい。

正解だろうが間違いだろうが、どっちでもいい。

自分の身に起こる全てのこと、自分が進む全ての道、自分が経験する全てのことに対して、「どっちでもいい」と開き直る。

そう・・・ホントは「どっちでもいい」んだ。

その時、その時で自分の思う通りにやればいい。




「ん?なんか違うな」と思ったら、その時にサラリと「考え方」や「やり方」を切り替える。


結果を超越すれば大胆になる

結果にこだわれば臆病になる



「どっちでもいい」という意味は・・・

どっちでも「いい=OK」ということ。


どの道を進んでも、結局は全ての道が「自分の道(自分だけの道)」

だから、どっちに進んでも、それが「自分の道(自分の決めた道)」




開き直る

開き直る・・・


開いて、直る。

開くと、直る。




閉じこもる・・・



閉じて、こもる。

閉じると、こもる。




だから、一度「開く」


すると、「直る」



これ、心の仕組み。






みんなが違うから、パズルのピースがピタリとはまる。

それぞれの持ち味が違うからこそ、意味がある。

人と比べての優越感も卑下も、ベクトルは同じ。

それは相対の世界。


これからは、相対の世界から絶対の世界へ。

コピーばかりじゃ、つまらない。

イケイケドンドンで自己肯定街道まっしぐら!

これでいいんじゃない?(←いいと思ってる奴)


下働き

神は陰から全てを支えている。

下の下の下に控え、一番辛くて苦労ばかりの大変な仕事を受け持っている。

それが神の働きだ。

みんなが上に上に行きたがる。

一番になりたがる。

嫌な役から逃げたがる。

少しでも楽な方へ、得な方へと傾いている。

そうした中で、自ら進んで下に下り、陰にまわり、目立たず認められずとも、

喜び勇んで感謝しながら嫌な役を引き受け、一番辛くて大変な下働きをする者は


世の中の宝だ。


誰かがやらねばならぬなら、誰かが背負ねばならぬなら、

それを自分が引き受けるという強く美しい魂の持ち主だ。

そこには、自分の力を示したり、知識をひけらかしたり、

頭の良さを見せつけたり、能力を誇示する心などはさらさら無い。

冬の朝の澄み切った空気にも似た清々しさがそこにある。

感謝しつつ喜び勇んで下働きをする時、神の心が少しはわかるのかも知れない。



縁の下

誰にも知られなくても黙々と働き

誰も気が付かなくても文句を言わず

華やかな表舞台には立たず

一番辛くて大変な骨の折れる仕事を

淡々とこなしている

事が運ぶように全ての手はずを整え

細部にわたって段取りをし

入念な確認を怠らず

ほとんど全てを準備して

最後の花は他人に預ける

何かをやり遂げた後の満足感は

そっと自分の胸の内で味わい

舞台の宴が終わらぬうちに

黙々と片付けを始めている

本当に力が無ければ

縁の下など務まるものではない


「縁の下 力無ければ 務まらず」


この世界の一番の縁の下は・・・

「神」としか言いようが無い

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カルマはノルマ


カルマは過去世でやり残した課題


それを清算するのが、現世のノルマ


だから、カルマはノルマ



・・・なーんてこと、いっつも考えてるとドンヨリしてしまうので、カルマのことなんか、カラリと忘れてしまう。


カルマが出てきた時に考えればいい

それが出てきた時が、それを清算すべき時

問題が表れた時が、それを解決する時

問題が表れたということは

それを解決する力が既に自分の内にあるということ

解決できない問題は、決して現れない



カルマが出てきたら、その時にそれを果たすのが現世のノルマ


ただし、自分ではどれほどのノルマがあるのか分からない。

いくら考えても、そんなことは分からない

だから、いくら考えても分からないことは、考えるのをやめる


これが、ノルマを気にせずにノルマを果たすコツ

無限の泉

私たちは、無限に湧き出る泉を持っている。

“出した”ものは、もっと“出てくる”ことになる。

厳密に言えば、“湧いてくる”ことになる。

“喜び”を出せば、もっと“喜び”が湧いてくる。

“感謝”を出せば、もっと“感謝”が湧いてくる。

“愛”を出せば、もっと“愛”が湧いてくる。


しかし、何を出すかは、個人の自由。




Zen012Breakthrough.jpg


挫折(ブレイクダウン)を、突破(ブレイクスルー) に変容させることがマスターの役割のすべてだ。

サイコセラピストたちは、ただあなたにつぎを当てて修理するだけだ。
それがサイコセラピストの役割なのだ。
サイコセラピストは、あなたを変容させるためにいるわけではない。
あなたに必要なのはメタサイコロジー、ブッダたちの心理学だ。

意識を保ったまま挫折を経験するのは、生における最大の冒険だ。
挫折(ブレイクダウン)が突破(ブレイクスルー) になるという保証はなにもないのだから、それは最大のリスクだ。
それはたしかにそうなる。
だが、こうしたものごとは保証されえない。
あなたの混沌(カオス)は太古の昔からあるひじょうに古いものだ——多くの、多くの生にわたって、あなたは混沌としていた。

それには厚みがあり、濃密だ。それ自体がほとんどひとつの宇宙。

だから、あなたが自分の小さな許容力でその中に入って行くと、もちろん、危険なことになる。だが、この危険に直面せずに統合された人など、これまでひとりもいなかった。

個人(インディヴィジュアル) に、わけることのできないもの(インディヴィジブル) になった人などひとりもいなかった。

禅、あるいは瞑想は、あなたがこの混沌、魂の暗夜をバランスを保ちながら、規律を保ちながら、油断せずに通り抜けるのを助ける技法だ。

夜明けは遠くない。
だが、夜明けに行き着く前に、あなたは暗い夜を通り抜けなければならない。
そして、夜明けが近づいてくるにつれ、夜はますます暗くなる。



解説:

このカードでは赤がひときわ目立っていて、一目で、そのテーマがエネルギー、パワー、そして強さにあることがわかります。

この人物の太陽神経叢(そう) 、あるいはパワーの中心からは明るい輝きが発せられ、そのポーズは、はちきれんばかりの力と決断を表わしています。

私たちはみな、ときとして、「もう、うんざりだ」というポイントに行き着くことがあります。
そのようなときは、自分を縛っている重荷と制限を放り出すために、なんでもいいから、たとえそれが後になって失敗だったとわかるようなことであっても、とにかくなにかしなければならないように思えるものです。

もしなにもしなければ、おまえの生のエネルギーそのものを窒息させ、使えなくしてしまうぞ、と脅されるのです。

もし今、「もう、たくさんだ」と感じているのであれば、これまであなたのエネルギーの流れを止めてきた、古いパターンと制限を粉々に打ち砕いてしまうリスクを冒しましょう。

そうすれば、あなたはこの「突破(ブレイクスルー)」によって生にもたらされるバイタリティーとパワーに驚くことでしょう。


OSHO 禅タロット より

Osho禅タロット(日本語版) の、「試しにカードを引いてみて下さい。」の「カード」の部分をクリック


自分の使命を知るには・・・

たった一つの質問を、深く深く掘り下げていけばいい


その質問とは



「あなたは、何をするために、ここ(地球)に来たのですか?」




この質問に対して、いくつかの「答え」が出てくるだろう


でも、「何か違う」「こんなもんじゃない」という声が聞こえてくるはずだ


実際に音声として聞こえるのではなく


「なんとなく、違う」という感じ


そう思ったら、もっと他の答えを出してみる


そして、一つ一つの答えに自分自身で問いかける


「ファイナル・アンサー?」


そうやってトコトンまで行って

もうこれ以上、掘り下げることはできないところまで掘り下げる


その答えに、きっぱりと「ファイナル・アンサー」と言えるものが見つかれば


それが


それこそが


あなたの使命なのだ



この作業は自分一人でしなければならない


誰にも頼めない


誰にも、「あなたにとっての答え」は見つけられない





では、もう一度、聞こう


「あなたは、何をするために、ここ(地球)に来たのですか?」


再誕生

zen068Rebirth.jpg


禅では、あなたはどこからも来ていないし、どこにも行かない。あなたはまさに今、ここに在る。来ることもなければ、行くこともない。あらゆることが、あなたのそばを通りすぎていく。あなたの意識はそれを映しだす、が、それと一体化することはない。
ライオンが鏡の前で吠えると、その鏡も吠えると思うかね? あるいは、そのライオンが行ってしまい、子どもが踊りながらやって来ると、鏡はライオンのことなどすっかり忘れて、その子といっしょに踊りだす——鏡は子どもといっしょに踊る、そう思うかね? 鏡はなにもしない、ただ映しだすだけだ。
あなたの意識は鏡にすぎない。
あなたは来ることもなければ、行くこともない。
ものごとは来ては去っていく。
あなたは若さを迎え、年を取る。あなたは生き、死んでしまう。
こうした状態はすべて、意識の永遠のプールに映しだされたものにすぎない。

解説:

このカードは、フリードリッヒ・ニーチェが『ツァラトゥストラはかく語りき』で述べている意識の進化を表わしています。

彼は駱駝(らくだ)、ライオン、子どもという三つのレベルを語っています。

駱駝は眠たげで、怠惰で、自己満足しています。
自分はお山の大将だと考えて妄想の世界で生きていますが、実は、あまりにも他人の意見を気にしすぎて、自分自身のエネルギーはほとんどありません。

その駱駝から現われ出るのがライオンです。
これまでずっと生を見逃してきていたことがわかったとき、私たちは他人の要求に対して「ノー」と言いはじめます。集団から抜け出し、独りで、誇り高く、自分たちの真理をうなりをあげて吠えるのです。

しかし、これで終わりではありません。
最後には、おとなしく従うこともなければ反逆することもなく、それでいて無垢で、自発的で、自分自身の実存に真実である子どもが現われ出ます。

まさに今、あなたがどのようなスペースにいようとも——眠くて憂欝であろうと、あるいは吠えながら反逆していようと——それを許しさえすれば、それはなにか新しいものへと進化していくのだということに気づいていましょう。


OSHO 禅タロット より

Osho禅タロット(日本語版) の、「試しにカードを引いてみて下さい。」の「カード」の部分をクリック

自分の物語の脚本家は自分

生まれる前に、おおまかなストーリーは出来上がっている

あらすじを書いたのは自分

神様との共同作業

色んなところに思わぬ仕掛けがしてある

仕掛けた本人はオギャーの声で忘れてしまう

自分が創る、自分だけの物語

脚本兼監督兼主演は、自分

自分の心の映像がフィルムに焼き付けられる

肉体は映写機

肉体を動かすエネルギー(命)は電気

外の世界はスクリーン

登場人物全員が、それぞれ主役の立体映画

映った映像に文句言っても、仕方ない

物語の展開が面白くなくても

誰にも文句は言えないし、誰のせいにも出来ない

自分の心に焼き付けたものしか、スクリーンには映らない

今のストーリーが面白くなければ

脚本を書き換えればいい

心に強く思うことや、心に焼きついたことが

やがてスクリーンに現れる

自分だけのオリジナル・ネバーエンディング・ストーリー

さて、これから先、どんな物語を書こうか・・・

ヒトは皆、自分の内面にあるものを、外側に見ている。

つまり、内が外、外が内。


あなたの外に争いが見えるなら、あなたの内にも争いがある。

あなたの外に悪が見えるなら、あなたの内にも悪がある。

内にあるものが何かを気付かせるために、それを外に見せる(体験させる)仕組み。


もっと言えば、内なる闇、内なる穢れを知らせるために、外に闇や穢れを見せてくれているということ。


あなたのズボンのチャックが開いているのを知らせるために、神様は、ズボンのチャックが開いているヒトを、あなたの目の前に連れてくる。

そこでお互いに「ヒトの振り見て我が身に気付く」ことになる。

そこで気付かずに、自分のチャック開放は棚上げして「ズボンのチャックを開けたまま歩くとは、何事だ!」と、せっかくの“お知らせ”を裁いたり責めたり腹を立てたり・・・


なにやってんだか。。。


内は~外、外は~内。

他人に盲従するな

他人に流されるな

自分の道は自分で決めろ

お前の進むべき道は、お前しか知らないのだ

道はいくつもある

お前の進むべき道に踏み込んだ時

ああ、これこそが自分の進むべき道だということが

理屈ではなく直感で分かるはずだ

その直感こそが

お前が生まれる前に自分で仕掛けたセンサーなのだ

その直感が得られるまでは

数多くの道を歩むこともあるだろう

最初の一歩が、その道への入り口であることもあるだろう

だがしかし、焦るなかれ

どんなに長い回り道でも

それはきっと必要があってのこと

その道に踏み込んだのには、何か理由があるのだ

道を間違えたからといって自分を責めるな

寄り道が多いからといって嘆くな

不器用でも、つまづいても、笑われても

ひたすらに自分の道を探し続けろ

最も大事なことは

お前だけの道にたどりつくことなのだ

最も危惧すべきは

お前だけの道にたどり着けないことだ

最も避けるべきは

他人と同じ道で安易に妥協することだ

お前の直感が違うといえば、それは違うのだ

自分の直感を信じろ

自分のセンサーを信じろ

他人のセンサーは他人だけのもの

お前はお前だけのセンサーで

お前の道を決めろ

お前だけの直感に従え



太古の昔から、人類は自然の恵みを享受して生きてきた。

江戸時代の日本は、糞尿でさえも循環するシステムを構築していた。

捨てられない(自然界に還元できない)ゴミなど、存在しなかった。

しかし、産業革命や科学技術の発達、あるいは化学の進展により、自然界からもたらされる「利息」だけでは飽き足らなくなり、ついには、その「元本」にまで手をつけ始めたところから、地球全体のシステムに狂いが生じて来た。


「利息」だけで満足していれば、半永久的に地球上の生命維持システムは稼動し続ける・・・はずだった。

自然界で、ただ一種、人類だけが、文明の発達とともに、「元本」に手をつけたのである。


「利便」や「快楽」のために、神の恩恵以上のものを求めたのである。

もはや、人間の手では元に戻せないほどに破壊の限りを尽くし、まだ、その手は止まっていない。


元本を食いつぶす文明の行き着く先は・・・いわずもがなである。




やっぱ、元本を食いつぶしちゃーイカンわな。

当たり前の話です。



僕が戦ってきたのは、誰だろう・・・

他人に嫉妬したり、比較して優劣を競ったり

外に評価を求めたり

絶対的価値は自分の中にあるというのに

僕は相対的なものばかり求めていた

戦う相手を外に求めていた間は

僕の進歩は止まっていた

挑む相手を自分の中に見つけたとき

僕は永遠という時の中で

天に向かって進むことを許されたのだ           


    日木流奈(ひき・るな)の言葉より


真の文明とは

真の文明とは、

 山を荒らさず、川を荒らさず、村を破らず、

 人を殺さざるなり

              田中正造


************************

この言葉に感銘を受けた。

これは現代にも通ずる・・・いや、永遠普遍の真理なのだと思った。

自分なりにアレンジしてみた。

************************

真の文明とは、

山を荒らさず、川を荒らさず、村を破らず、

地球を荒らさず、宇宙を荒らさず

神を殺さず、人を殺さざるなり

今、ここが夢の中

夢うつつ 夢とは知らず 夢を見る

  夢が現(うつつ)で 現(うつつ)が夢ぞ     


・・・以前、自分で作った歌である。




「夢の世界」が現実で、「現実世界」が、実は「夢の中」


つまり、


「夢と思っているのが、真実の世界」で、

「現実と思っているのが、実は夢の中だった」



・・・というパラドックス。





「今、ここが夢の中」

「現実だと思い込んでいる『夢の世界』で、夢うつつで暮らしている」




・・・というのが分かったら



「あなたなら、どーする?」


自分の道は自分で歩きたい

他人に引っ張ってもらったり

後押しされたりするのは嫌だ

不必要な手助けは、むしろ迷惑


他人と同じペースで歩くのも嫌だ

自分のペースで歩きたい

だから自然と単独行動になる



泥にまみれようと

失敗しようと

それが遠回りでも


自分の道は自分のペースで歩きたい


孤高の勇者

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自分の信念に従い

自分の内なる声を聞き

外の何ものにも左右されず

ただひたすらに自分の道を歩く孤高の勇者よ  

汝こそは神の待ち望んだ人物なり

混沌たる世界の中にあって

自分を見失った人々の中で

ひときわ輝く宝石とは汝なり

孤独のうちに自分を見つめ続け

真実を求め続けた日々

汝の求めたものは荒野の果てにある

汝が一つの確信を得て

一歩を踏み出したその時から

汝の苦難と栄光の道は始まったのだ

ただ独り荒野に臨む汝の頭上には

あまたの星が祝福の光を投げかける

地平線に向かうその瞳には

ゆるがざる決意が溢れている

もはや引き返すことのできない道に

全人生を賭けて踏み込んだ孤高の勇者よ

汝の勇気は全人類を照らす灯台となる

もはや何人たりとも汝を止める事は出来ない

たとえ志半ばで朽ち果てようと

心の命ずるままに行け

汝の内なる声だけを頼りに進め

前人未到の荒野にひとすじの道をつけよ

新世界を拓く開拓者となれ

この世で最も強き者

それはただ独り立つ者

神に最も近き者

それは内なる声に従う者

ただ独り荒野を目指す孤高の勇者


真の教育とは

新米の先生が5年生の担任として就任した時、
一人服装が不潔でだらしなく、
どうしても好きになれない少年がいました。

先生は、中間記録に少年の悪いところばかりを
記入するようになっていました。

ある時、少年の1年生からの記録が目に止まった。

「朗らかで、友達好きて、誰にでも親切で、
勉強も良くでき、将来が楽しみ」
とある。
 
先生は、これは何かの聞違いだ、他の生徒の記録に違いない、 
そう思った。

2年生になると
「母親が病気て世話をしなければならず、時々遅刻する」
と書かれていた。
 
3年生では
「母親の病気が悪くなり、疲れていて、教室で居眠りをする」
そして後半の記録には
「母親が死亡。希望を失い悲しんでいる」
とあり、

4年生になると
「父は生きる意欲を矢い、アルコール依存症となり、
子供に暴力をふるう」
とあった。

先生の胸に痛みが走った。
ダメと決め付けていた子が突然、深い悲しみを生き抜いている
生身の人間として、自分の前に立ち現れてきたのだ。

先生にとって目を開かされた瞬間であった。

放課後、先生は少年に声をかけた。
「先生は夕方まで教室で仕事をするから、
あなたも勉強していかない?
分からないところは教えてあげるから」

少年は輝くような瞳と笑顔で「はい!」と応えた。

それから毎日、少年は教室の自分の机で予習・復習を熱心に続けた。

授業で少年が初めて手を上げた時、先生に大きな喜びが沸き起こった。
 
少年は自信を持ち始めたのだ。

クリスマスイブの午後だった。
少年が小さな包みを先生の胸に押し付けてきた。
後で開けてみるど香水の瓶だった。
亡くなったお母さんが使っていたものに違いない。

先生はその香水を身につけ、夕暮れに少年の家を訪ねた。

雑然とした部屋で独り本を読んでいた少年は、
気が付くと直ぐに飛んできて、
先生の胸に顔を埋めて叫んだ。

「ああ、お母さんの匂い!今日は素敵なクリスマスだ。」

6年生では、先生は少年の担任ではなくなった。
卒業の時、先生に少年から 1枚のカードが届いた。

「先生は僕のお母さんのようです。
そして、今まで 出会った中で1番素晴らしい先生でした。」

それから6年後、またカードが届いた。
「明日は高校の卒業式です。
僕は5年生で先生に担当してもらって、とても幸せでした。
お陰で奨学金をもらって医学部に進学することができました。」

10年を経て、またカートが届いた。

そこには、先生と出会えた事への感謝と
父親に叩かれた体験があるから
患者さんへの痛みが分かる医者になれたと記され、
こう締めくくられていた。

「僕は5年生のときの先生を思い出します。
あのままダメになってしまう僕を救って下さった先生を、
神様のように感じました。
大人になり、医者になった僕にとって最高の先生は、
5年生の時に担任して下さった先生です。」

そして1年後
届いたカードは結婚式の招待状だった。
「母の席に座って下さい」
と一行添えられていました。

新任の先生は当時22歳
学校を卒業したばかり、
学問の教え方についての意気込みはあったものの、
人を育むという 
「本来教諭が身につけていなければならない」
ものを少年によって再認識させられたそうです。

少年の過去、生い立ちを知ったことで眼を開かされた先生。
先生の深い愛情で 自分を取り戻した少年。



注)この記事は、あるブログからの引用です。

<引用元>
http://blog.livedoor.jp/nomuraakio2/archives/50817985.html#comments


誰に何を言われようと、相手に染まらないこと。




相手に合わせないこと。



たとえ相手の言うことがホントだったとしても。



それで得られる気づきもある。


寄り道というのものは、ない。


トコトンまで行かないと分からない奴は、トコトンまで行ってみるしかない。


中途半端な妥協はするな。


born_of_the_light_thumb.jpg


風吹かば吹け、雨降らば降れ

嵐のまっただ中にあろうとも

心は常に晴天にあり

雲の上には燦々と輝く太陽がある

一点の曇りもない輝きを内に秘めて

私は泥の中を進んで行こう

磨きに磨いた魂だけが私の宝なのだから


かなわない奴

誰も責めない、誰のせいにもしない

何も裁かない、すべてをあるがままに見る

倒れてもすぐに立ち上がり、転んでもあきらめない

人に悪意を抱かず、人を疑わない

いつでもどこでも自分の気持ちに正直に生きている

高ぶらず、さりとて卑下することもなく

いつでもどこでも自然体でいられる

力まず、いいところを見せようとしない

恥ずかしがらない、ものおじしない

自分の感情を素直に表現して、後をひかない

そしていつでもご機嫌でいられる

ズルをしたり要領よく立ち回ることもしない

苦労を苦労と思わず、楽をしようとしない

そして絶対に自分にウソをつかない

ただそこにいるだけで、みんなを幸せにする





・・・赤ん坊にはかなわない。



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