人間ってのは面白いもので、「●●をするな」と言われると、その「●●」が急に気になったりして、
意識が「●●」にばかり向いてしまう。
だからと言って青少年に「エロ本を見るな」というのは、そりゃ無理というもの。
ちなみに私は高校生の時、堂々と本屋でエロ本を「立ち読み」していた猛者だった。
深い意味の“立ち読み”も含めて・・・(って、オイ!)
コホン・・・それはさておき。
じゃあ、「勉強するな」と言われたら勉強を始めるかというと、さにあらず。
「ヤッター♪」とばかり、サッサと遊びに行くのがオチ。
いや〜、人間って、ホントに面白いですねぇ〜♪
「あまのじゃく」というか・・・
で、ちょっと硬い話。
世界の宗教は、だいたいが「戒律」を持っている。
教典に書いてあったり、石版に刻まれていたりして、こと細かく「あれはダメ、これもダメ」と、「ダメダメ禁止網」をグルグルと張り巡らせ、人間の想念まで規制しようとする。
そして、戒律を守れないのは、「信仰心が足りないからだ」とか「罪深いからだ」とか何とか言って、罪悪感で心を縛りつけ、コントロールする。
しかし、もともと人の心というのは、本来、「自由自在」。
空間で言えば、宇宙よりも広く、ミジンコよりも小さい。
時間で言えば、過去、現在、未来と、果てしない。
さらに、想像力が創造力となって、何でも自由自在に生み出すことが出来、自分が生み出したものを肉体で体験できる。
だから、「心に網はかけられない」のだ!!
宇宙創造の神が、本当に「ダメだ」というようなものは、実は、私達には「想像すること」すら出来ない。
なぜなら、人間が心の中で「想像」できるものは、すべて現実に「創造」できる可能性を秘めているからだ。
それなのに、神は私達に「自由自在」な心を与えた。
つまり、神と同格の力を与えられたということだ。
それは何故か。
「宇宙創造の神」は、もともと「唯一無二の存在」なので、認識できるのは、すべて「自分」。
いや、「自分」という認識すら無かったのかも知れない。
その神が、自分のお腹の中に「物質宇宙」を生み出し(作り出すのではない)、そこに神の息吹を吹き込んだ「人」を生み出した。つまり「子供」を生み出した訳だ。
そして、神の願いは「我が子」と一緒に、永遠に嬉し楽しで遊びたいのだ。
ただ、それだけなのだ。(ホントか?)(ホントや)





